男装の少女マンガ読書会 〜『少女マンガジェンダー表象論 <男装の少女>の造形とアイデンティティ』押山美知子・著 より〜
2020年12月13日(日)
『少女マンガジェンダー表象論 <男装の少女>の造形とアイデンティティ』押山美知子・著 を読んでの読書会
参加者 全12名(オンオフ総計)/ 15:00-19:00
もくじ
<まえがき>
② 今回の読書会の参加理由 ー男装の少女に興味を持ったのはなぜかー 数人抜粋
<超☆概要編>
① 少女マンガは外見的な男らしさ・女らしさをどのようなパーツで描いてきた?
② 少女マンガの歴史の中で、内面的な男らしさ・女らしさはどう定義されてきた?
<その他編>
■ 少女マンガに、マジで粗野で汚くて取り柄のない人間は描かれないよね という話題
<おわりに>
<まえがき>
① 会について
人生研究会は「できるだけ楽しく人生を送ろう!」という趣旨で @syuhomi が運営しています。
その上で知りたいこと、気になることなどをみんなで楽しくおしゃべり、共有、勉強できたらいいなと思っています。
そのため今回は、カルチャーとしてのマンガ、服飾、社会的役割としての性別(ジェンダー)、フェチなどの興味から男装の少女マンガの研究書をテーマに読書会を行いました。
課題図書は『少女マンガジェンダー表象論 <男装の少女>の造形とアイデンティティ』押山美知子・著 です。
参加できなかった方、人生研究会に所属していない方にも内容を共有できたらいいなと思うので以下内容をまとめていきます。(せっかく開いたので!)
スクロールはちょっと長いですが箇条書きも多いですし、もくじからリンク飛べるので適宜使用してください。
お読みくださいましてありがとうございます(^^)
② 今回の読書会の参加理由 ー男装の少女に興味を持ったのはなぜかー 数人抜粋
● どんな外見、記号が性別を表す(意識させる)のか興味があった。人間はどうしても服装やメイク、声など外見で判断する / されることが多い。自分自身が服を着るときにそれを意識しすぎて何を着れば良いかわからなくなり困っている。だから適切にどのような記号が何を表すのか知っておきたかった。自分似合う服は何なのか、そのヒントになればと思った。
● 小学生の女の子と文通していたときに「中学に入ったらスカートはかされるのが嫌だ」という話を聞き、中学入学時点で男装・女装させられてしまうと感じた。
ときメモの伊集院レイなど、服装は記号でしかないのに意味合いが付与されるのが面白いと感じている。
● 女性は剣を与えられたり魔法の力を与えられたりして男装なり魔法少女なりに変身することが多い。しかし『さらざんまい』というアニメなのだが男性は河童に尻子玉を抜かれて変身する。
異性装とか変身においてなんか男女差があるような気がして、また異性装や変身は規定のレッテルを抜け出す有効な手段なのではという観点から、読書会内容が気になった。
<超☆概要編>
① 少女マンガは外見的な男らしさ・女らしさをどのようなパーツで描いてきた?
手塚治虫前 : 男女ともにほぼ同じ顔(単純な点や丸の目鼻口、ほぼ同じ顔の輪郭)
手塚治虫~ :
眉の太さ・形・角度、睫毛の量・長さ、目が丸か・切長か、瞳の大きさ、瞳のハイライト、鼻の太さ、唇の大きさ、顔の長さ、服装の表象記号(リボン・ハートの有無等)の描き分け
☆ 手塚の場合、男装の少女であっても顔や装飾品の造形パーツは他の女性キャラクターと同型
☆ 『リボンの騎士』(1953-56)では、主人公の男装の少女サファイヤの目隠しが描かれたり消えたりする。
懐かしい笛の音を聞いて戦闘中に力が抜け、圧倒されるシーンでは突然目隠しが消える。笛の音が止み力を取り戻すと突如目隠しの描写が復活する。
→内面の表現において最も重視されるパーツは「目」ではないか(この場合は「優しく淑やか」な女性性 *②で後述)
『ベルサイユのばら』(1972-73) :
男女の描き分けは基本的に手塚を引き継ぐ。
しかし男装の少女(オスカル)のみ男女の入り混じった特徴的な造形を持つ。
眉ー男性と同じ角度、女性と同じ細さ
睫毛ー女性と同じ長さ・量
目の形ー男性と同じ切長、三白眼ぎみの形
服装ー他の女性キャラと異なり、ドレス姿でも絶対にリボンを纏わない
② 少女マンガの中で、内面的な男らしさ・女らしさはどう定義されてきた?
● 天使長のセリフ
「男の子にはたくましさと勇気を 女の子にはしとやかさとやさしさを」
● 少女クラブへの投書欄
「私も男の子の姿をしたい!」→掲載せず
「男装の主人公を女の子にしてあげてね」→編集部から同意の文言
● なかよし掲載時の煽り文
「やさしく美しい女の子になれるのは果たしていつの日でしょうか?」
■ 続編『双子の騎士』時代(1958-59)
『リボンの騎士』において、男装の少女は知的交渉の場面を担当しない。
しかし『双子の騎士』では男装の少女が智略を尽くして敵を倒すシーンがある。
☆ 参加者からの情報
テレビアニメ版の『リボンの騎士』では主人公がとても男性的(当時の価値観でいうやさしくしとやかな要素の強調された女性ではない)に演出されている。
それは放映のパイロット版(試写版)で原作通り女性らしさの強調された主人公が子供たちにあまりウケず、男らしい方がウケたからだという。
● 父親がオスカルの本をはたき落とすシーン
「人間であればこそ すぐれた書物を 読みたいとねがうのは
とうぜんでございます」
→ 女性は政治や知を担当しなくていい、という規範に対抗するオスカルの様子
+α
このシーンにおいて、この台詞とともに、先述した「男女入り混じった特徴的な目」がクローズアップして描かれている。
→ 知性を持つ女性の表象記号として作用?
● 死ぬ間際に自身の人生を振り返るオスカル
「自己の真実のみにしたがい一瞬たりとも悔いなくあたえられた生をいきた
人間としてそれ以上のよろこびがあるだろうか」
▶︎ オスカルの目指した自身の理想の完成形は、男でも女でも軍神でもなく
「人間」である
● ウテナの成長の変遷
王子になりたい自我 + 女性である身体
↓
自身の女性的身体および内面への違和
↓
世界や女性性(アンシーのことなど)をちゃんと知りたいという知的欲求の芽生え
↓
「男でも女でも気高さを失わない人間」を内面化
▶︎ オスカルと同じく「人間」を理想形とする
③ 結局男装の少女とか中性的なキャラってなんなの?
会長的理解 :
⇨ 男装の少女の良さとは、身体的性別を越境して「人間であること」を目指す存在と捉えられるところにある??
参加者の意見 :
● 男装の少女サファイヤには女の子でいて欲しい。
● 男装の少女って気高さを求められてない?何故??気高くなきゃいけないの??
→単に男装の少女と「戦闘(騎士)」がセットで騎士が気高いからでは?
→手塚作品初期あたりの男装の少女は別に気高くはなくない…?
● 宝塚の良さはどこに?
▶︎ 男役が女役を演じた時の萌え、女性の男装によるBLという性別越境により引き起こされるわけのわからない感情(だがとても良いものだと思う気持ち)、など
→ 性別の線引きをグラグラ揺らされることの快感では??
▶︎ 演技だけじゃない。役者のリアルも好き
→ 能や歌舞伎や俳優、ジャニーズのように子役時代から見守ってファンが育てる文化がある??
演技中の役者のみでなく、舞台を降りたときの役者自身まで含めて気持ちを向けるという独特の文化??
● オスカルになりたい?問題
▶︎ オスカルは憧れの存在。だが、自分と地続きの存在として憧れるのか王子様として憧れるのかという違いがある気がする。
オスカルは凄すぎるから地続きの存在として憧れるのは難しそうだけれど皆はどう思うか?
→ 参加者のうち「なりたい」と回答した男性はゼロ。女性4名が挙手。参加者の男女比率は半々(全12名 / オフライン参加含む)
④ 社会的背景をちょっとだけまとめ
1910以降~ 核家族化、専業主婦化 — 教育が主婦の重要な務めに
1950-80年代 悪書追放運動(鉄腕アトムの焚書など)
1953-56 『リボンの騎士』少女クラブ版
1958-59 『双子の騎士』
1972-73 『ベルサイユのばら』
1955-73 高度経済成長期
1991-93 バブル崩壊
1996-98 『少女革命ウテナ』
☆参加者の意見
● リボンの騎士編集部が「サファイヤのようになりたい」意見を黙殺した背景には、経済発展してはじめて子の教育者という重要な役割を与えられた当時の専業主婦たちによる過敏な反応がある
● ベルばら当時は日本が豊かになっている時代で、歴史にしか悲劇を見いだせなかったのでは?
● 一方で90年代のウテナの時代はバブルが崩壊したり、教育への投資がGDPに影響しなくなったりといった社会変化があった。ウテナ時代は女性も男性と同じ土壌で活動「しなくてはならなかった」という背景があるのでは?
<その他編>
■ 男装の女性が登場する作品・歴史人物
(座談会で参加者が話題にあげた作品・人物の中から課題図書で触れられていない作品・人物のみ記載)
● 映画『恋に落ちたシェークスピア』
演劇の舞台に男性しかあがれなかった時代を描く
男装してみごと役を演じきる女性ヴァイオラと劇作家シェイクスピアの関係を主題とする
● 漫画『BASARA』田村由美(1990-1998)
少女漫画でありながら荒廃した世界での架空戦記を描く
双子の妹が髪を切って立ち上がり、男に成り代わって指揮
兄と妹の両面性を利用しつつ戦っていく
● 漫画『イノサン』
フランス革命下における死刑執行人の兄妹を描いた漫画
男装でこそないものの男言葉で兄よりも胆力を持ち、自由を希求する妹・マリー=ジョセフ・サンソンが大きな役割を果たす
● 歴史人物 川島芳子
清朝の王女であり、男装の麗人としてスパイ活動を行った戦後日本の人物
● 歴史人物 ジョルジュ・サンド
ショパンやリストとも交流のあった19世紀の作家。男装によって活躍の自由を得た? 生活費が足りず男装を始めた? 何にせよ男装し活躍した麗人として有名な女性
● 歴史人物 ジャンヌ・ダルク
史料が当時にかなり破棄されているのでは、どこまでが史実なのか、本当にジャンヌの意思だったのか(政治利用されたのでは)など諸説飛び交うが、男装していたのは恐らく本当だろうと言われる(全く専門外なので断定を避け語尾を濁しまくっています)
■ 少女マンガに、マジで粗野で汚くて取り柄のない人間は描かれないよね という話題
→描く必要ないからでは?
→描いてる作品はないの?
▶︎ 少女マンガではないが……
などでは描かれている
(勿論文学作品や映画、少女マンガ以外のマンガなどに視野を広げればいくらでも存在する)
<おわりに>
ひとこと
たのしかったです! またやりたい!
★ 今回「超概要」にまとめた内容は、『少女マンガジェンダー表象論 <男装の少女>の造形とアイデンティティ』押山美知子・著 のほんの一部でしかありません。
図書のなかでは手塚治の他の作品や『リボンの騎士』からベルばらまでの変遷、萩尾望都や池田理代子の様々な作品や宝塚、ウテナ以降の現代の作品についてもまとめられています。
興味のある方はぜひこんなブログなんかではなく本物の書籍のほうをお手に取ってみてください。
百合BL会 2020年9月26日
※これはかなり雑なまとめ(議事録)です。内容が多すぎて見やすくまとめる手間をかけていないので適度にスクロールしつつ、自分にグッとくるワードが目に入ったあたりに注目してみる読み方を推奨。日本のBLの変遷についてパワポ発表してくださった方のくだり(「百合の話」以後)必読。
議事録
「自己紹介」16:45〜
高瀬
・ミドリさんが強火のオタク、それに触発され開催
・わかりやすくないものにBLを見出してしまう人々の姿が好き
・メインストリームに寄り添えず
・ひたすらデュラララ!!にはまる
・殺し愛がすき
渡辺
・家族が腐女子なので参列
ミドリさん
・ハーバービジネスオンラインに寄稿(マイノリティ系)
・ドストエフスキーのBL、ほか古典BL
・神と人のBLが好き
神を人にさせようとする
・百合は書くほうが好き、下妻物語、馬場宿の夜
ショウゴさん
・シェアハウス立ち上げ人
・ダンス系ライター、芸能とイベント、野良心理学→オタクの心理学研究
・男、データベース消費(属性で分ける)
どの属性が好きかでわかれる、それを内面化していく、主人公に感情移入(自己投影をしやすい作品に喜ぶ)
女性、関係性を楽しむ、ビフォーアフター
十年前くらいから融合し始める
「日常系」→男子校の内容が展開することが特徴の一つ(男がやりたいことを女にやらせる)
BL男子、百合を求める男子、入れ物として楽しむ?
今はアイドルオタクの研究中
コロトロさん
・ずっとオタク
・常に腐女子ではないらしい
・プレゼンが用意されていた
・オメガバース
最近盛り上がってきてる?
ミドリさんは地雷らしい
「男の妊娠が可能」→「いいですね」
「妊娠する性が弱いのがもにょる」
Ωはαを誘惑してしまう!
エロ、運命などがフォーカスされることが多い
・タイカケ
スケートしながら歌う作品、キンプリのカプ
タイガくん(ひねてる系)×カケル(富豪系)
→下克上萌え
・勇ヴィク(リバ)
ユーリオンアイス
勇利×ヴィクトル
主人公(能力高くヘタレ)その憧れの選手
・距離が近い
・この業界ゲイが多いのでガチかもとのこと
逆もあり
リバ万歳
アッキーさん
・「社会性を取り戻します」「捨てろ!」「犬に食わせろ!」
・海外のビジュアルノベル『バタフライスープ』、海外のティーンがセクシャリティを自覚していく
メルスケさん
・オタクは高校生から、同人誌描いてた
・BLのオンリーも主催するが、本人は腐ってない、なんでも食べる雑食
・本日は一般人として参加(自称)
きのこさん
・中学時代に封神演義
・パンセクシャル
・幽白の腐女子のゆきちゃんが戦犯、ゆきちゃん最強説(ショクパンマン総攻め)、生物(B'z)もやってた
・芝生で同人誌を売る福岡ドーム即売会
・中学生くらいにセクシャリティを自覚、苦しくなってくる→同性を好きな気持ちからBLを消費できなくなる「アナルはもっと大変なはずだ!」
→そこから距離をおくように
女性同士の切ない系小説などにハマる、『マイプライベートアイダホ』を擦り切れるほどみる
モモさん
・アセクシャル、性描写はオッケーですとのこと
・セクシャリティ問い直しのきっかけ、百合方面?宝塚にハマる
ニジンスキーにはまる、その人も同性愛者
同性愛者の女性が男装してBLという現象に衝撃を受ける
・「BLは片足突っ込んだら抜け出せない世界」
デニーさん
・「第一線を退いたオタク」
・BLなどにも抵抗なしでなんでも見る
・LGBT系のストーリーもすんなり受け入れる
くしがはまさん
・「現代をオタクで生きてると異性愛がもはやマイノリティなのでは?と思う」
ウテナに始まり、キンプリの二次創作系列のストリップショー(??)に衝撃を受ける
「BL見てる時はサイリウム振ってるようなもん」
いのうえさん
・GLがメイン
・もっとディープなところを知りたい
休憩中 18:00〜
・オタクは並列に繋いでも意味ないが直列につなぐとパワーを出す
(東のエデン)
・麦茶セックス
再開 18:20〜
「下克上萌えについて」
・マイナー? タグ分けされてないだけで結構多い
・「誘い受けが一番いい」
・「ロールが固定されていると辛くなってしまう、カップリングが混乱するのがすき」
「強い方が弱くなるのが好き」
「もっとマイナーな話していいですか??」
「生と死が対立するもの」暗いものが多い
落ちの暗さは時代の差? 俺はそんなことないと思うけど
昔のゲイ描写、犠牲者的な立ち回りをさせられることが多かった
・LGBTの認知向上で悲劇性が潜在的なものではなくなってきている可能性
アンコントローラブルな恋、「禁断の恋」に萌える
「マリみてが〜〜」「私の母校がモデルらしいですが実際に同じことがありました! (お姉様制度)大興奮
「百合の話」18:35〜
・ウテナの話
西園寺×東亜
駄目男と幼馴染、ホモソの中の慰め合い
設定の確認で話が弾んでいる?
車が男根の象徴(男の子の憧れ)
女の子が憧れるシンデレラ城を超える
・BLの需要、百合の需要を生み出すものは?
・BL入門編
オタクと混同されることも
男は「貴腐人」
「一般人」の感覚、BLでヒゲ生えてるキャラがいるの?
推しキャラが攻めになるタイプ
「一穴一棒主義」パワーワード
リバ、王道邪道などで揉めたとのこと
・ベーコンレタス
・入りが生物
「ナマモノ」は事務所に訴えられるなどリスクが高いため凄いセキュリティとゾーニング。
サイトのパスワードだけが羅列されているメモ帳が存在
・「半ナマ」
ハリポタ、相棒など
ジャニーズ p禁、まんだらけ事件(キングオズプリズム)
まんだらけ店員が投稿→炎上→漫禁(まんだらけ禁止)
BLの歴史
竹宮惠子、萩尾望都、木原敏江(摩利と新吾)
耽美もの(美しい絵柄が特徴)
絵がすごい!!!
性行為描写は朝チュン
ジュネ(JUNE)系
雑誌の名前、禁忌背徳と苦悩からの葛藤
結末がバッドエンドが多い
「男同士」が強調、恋愛は主軸ではないことが多い
ドラマチックな展開が強調
小説も多い
・精神的、魂のつながりが強調
物語性
やおい
80年代、男同士がセックスする姿が見たい!
ジュネが重すぎた反動?、男女雇用機会均等法も関係?
女性がエロを見たがれる時代背景
ネット環境の普及で爆発的に広がる(親には言えないユーザーも数に)→エンタメ的な色合いが強まる
スポーツのような、何か一つのことに向かう展開のものが多い
男同士のセックスを目当てにする層が爆誕
角度的にケツに入れないやおい穴問題
→ゲイの人々への悪影響の根元に
今はリアルに寄せていく描写も
BL
元は耽美・ジュネの言い換え、今は広範な概念を包括
特徴は世界観的に男同士の恋愛に肯定的であること
「悩める主人公」が人気
→ 一般層への普及も、性行為が描かれないものも
ナマモノだけイベントのバナーがない
・BLが好きだから好き
・女は自らの性を楽しむ存在ではない層→成人すると抜けていく人々の層?
現実のLGBTとの繋がり
・性自認と恋愛
恋愛対象を名乗る必要は?
百合BLなど、カップリングの◯◯化
やおい穴
それが生まれた必然性が存在
対位の問題、参考資料の少なさなどの歴史的理由
愛情の証明にセックスを求める文化的バックグラウンド
即売会が性的コンテンツの販売会なのにナンパが成立しない問題→真面目なすけべが多いから
真面目さがこういうコンテンツに走らせる?
「公に発言できないのはおかしい」
2008年、電車男以降オタクのカースト位置が上昇
今のオタクは「花道」のような? 教養
2015年くらいまで、オタクとしてのアイデンティティを獲得しに秋葉原へ行っていた
それ以降オタクファッションは減少傾向「オールドスクール」なオタク
「ファミリー」感、コミュニティ全体でコンテンツを支える意識のあるジャンル
廃課金、強制布教は公式への過剰な忖度になって逆にコンテンツを潰すことも
ファンは「リスペクト」から自分を下げすぎて忖度にならない注意を!!
メモ担当・わたなべかい(ありがとうございます!)
【ポリアモリー×シェア居住 雑談会】9月12日(土)
〈テーマ〉
「シェアハウスとポリアモリーは相性が良いのか!?雑談会」
● 今回の目的
親戚関係にない複数人での居住形態である「シェアハウス」。東京でも地方でも一気に増加しており、様々な運営方法が試みられている。
また「ポリアモリー」という恋愛スタイルも日本に広まりつつある。「複数の」を意味する「ポリー(poly)」と「愛」を意味する「アムール(amor)」を組み合わせた言葉で、「全員の合意のもとで1人ではないパートナーと恋愛的な関係を築く」恋愛のスタイルのことだ。
現在私はシェアハウスに住んでおり、また色々なシェアハウスにお邪魔する機会も多い。その中で、シェアハウスには「恋愛の相手が1人ではない」恋愛スタイルを選択している人が多いように感じている。
もちろんシェアハウスに住んでいる人が全員ポリアモリーというわけではないし、すべてのシェアハウスが当てはまるわけでもない。またもしも「つまり乱交シェアハウスってこと?」なんてイメージを抱いた方がいるなら、それはポリアモリー及びシェアハウスに対する全くの偏見で最低の感想だと思う。
完全なる経験則から感じただけの疑問なのだが、シェアハウスに触れるうちに私は「なぜシェアハウスにはモノガミー(一対一の恋愛を好む人)でない人が多いのか」と不思議に思った。
これはさらに、「そもそもこの疑問は的を射ているのか」という疑問や、「もしシェアハウスにモノガミーでない人が多いとしたら、その理由は何故なのか」という疑問へ分裂していく。
今回はこの超個人的な疑問点を解決したくて会を開催した。
なぜシェアハウスとポリアモリーは相性が良い / 相性が良いと感じるのか。シェアハウス在住経験者やポリアモリーの方、またそれらに興味関心のある参加者の方々で会話を重ねる中で見えてくるものがあるのではないかと期待する。
⭐︎ 正直なところ今回の問題意識はマジで私の超個人的な直感に基づくものでしかなく、人生研究会で開催するか迷っていました。しかしきのコさんに提案したところ、「同じことを感じており、ぜひ話したい」と仰ってくださったため開催を決めました。きのコさんありがとうございます!!
〈参加者〉
シェアハウス在住&ポリアモリー きのコさん
シェアハウス在住&計画中 たかせ
シェアハウス計画中 Mさん
シェアハウス運営中 Sさん
色々なシェアハウスに居住経験 Kさん
オープンマリッジ実践中 Uさん
集合体としての家族の住み方に興味 Dさん
複数の男女が仲良くできたら良いな Hさん
Q. ポリアモリーとシェアハウスは相性が良い?
たかせ「シェアハウス運営者の方何人かとお話しして、『一緒に住んでいると自然と同列に好きな人ができる』『好意を向ける相手が一度に1人とは限らない』という方が結構多いなと思ったんです。住人にもそういう人が(恐らく世間一般の平均値より)多いなと感じて。」
きのコさん「勿論全員じゃないけれども、シェアハウスの暮らし方が居心地良く感じるポリアモリーは多いんじゃないかな。自分自身いまシェアハウスに住んでいるし、前は住み開き(住居の一角をセミパブリックに開くこと)をやっていた」
たかせ「実際に複数人との恋愛を実践するかどうかは別として、実践しないけれど複数人を大切に思い、大切に扱いたいと考える人がシェアハウス関係者には多いなと思う。それで、ポリアモリーやポリアモリー的な感覚とシェアハウスって被るところがあるんじゃないかと感じて。でもうまく言語化できないんです。何故なのかを」
きのコさん「人間関係がクローズドでありたくない人が多いね。あとサラリーマンが割といなくて、経営者やフリーランスが多い」
Uさん「パートナーとの関係性が2人きりに閉じるのがすごく怖い。だから個人の空間がありつつ、共有空間でちゃんと関係を開くことができる……そんな生活がしたい」
たかせ「人間関係を閉鎖的にしたくない人が多い、っていうのがポリアモリーとシェア居住の相性の良さなんでしょうか……? いや、でもモヤモヤする。」
たかせ「関係をオープンにできる、以上の住みやすさがシェアハウスにはある気がする。もっと、恋愛やパートナーとの関係と関わらない些細な日常生活的な面でも過ごしやすいような気がするんです。まだ……言語化が……足りない………っ」
きのコさん&Uさん
「でもシェアハウスって言ってももっと不自由なとこも多いよね」
「あー、前住んでた業者管理のとことかは凄かった!調味料ズラーって!あれはどうにかならないかなって思ったな」
「調味料ズラー?」
「1人1人が台所の棚に調味料を置くから同じ調味料が大量に並んでるんだよ、ズラーって」
「あと来客が許可制のとこもあるし」
「反対に住人の男が心配だからって理由で部屋に入ってきた場所もあったな」
「ポリアモリーとシェアハウスの相性といっても、シェアハウスにも色々な形態があるよね……」
たかせ「確かに……。じゃあどのようなシェアハウスがポリアモリーと相性が良いんでしょう?」
● シェアハウスにはどのような形態がある?
運営形態や管理人の有無、住人の条件などで雰囲気も自由度もかなり違う。
ざっくり「業者管理型」「個人経営型」に分けられるが、参加者が住んできた経験からシェアハウスを大別してみると大体以下のような感じだった。
〈業者管理型〉
安全重視&閉鎖傾向
「キッチンに同じ調味料がズラリと並んでいた!」と語ったUさん。
たかせの居住するシェアハウス(個人型)では塩や砂糖などある程度共用しており、使われたくないものには名前を書いている。そのため異常な量の同じ調味料がズラリと台所に並ぶことはない。
しかし確かに居住人数が増えてくると使われる量も増えるだろうし、フリーライダーも多そうである。
調味料を共益費から出せば改善されそうだが、料理しない人には意味のない出費となる。「支払いに対し絶対・確実に商品やサービスが自分に返ってくる」ことを厳密に求めるなら、共用費というのは遊びのないお金になってくる。つまり、全員が絶対確実に使用する電気水道などのサービスのみに発生するお金のみを取り立てるものになる。
これは金銭的なもめごとを出来る限り確実に回避しようとする「安全傾向」と言えるだろう。業者経営では企業責任が問われるため、ゆるさのない運営形態になりがちなのかもしれない。
ほかにも外部の人間を招いてはいけない所や招きにくい所も多いようだった。
業者管理型では個人経営型に比べて
・設備はシェアしても物はシェアしない
・外部の人間を招きにくい
・問題が起こらないことや安全性を最優先する
傾向が大きいのではないかと感じた。
〈個人経営型〉
① 個人経営かつ閉鎖傾向の場所
個人が家主をつとめており、閉鎖的で来客を歓迎しないシェアハウスがあるという。
それってただのルームシェアでは……?
参加者からは「独裁政権みたいになりかねない」「閉鎖的で怖い」などの声が聞かれた。仲良し数人などで住人を固定して住むならともかく、あまり知らない人同士で閉鎖的な環境に共同居住するのは怖い。世の中には、好き同士で同棲したはずが暴力沙汰に繋がるようなパートナー同士・家族間の事件があまりにも多い。
「外部の目が入らない閉鎖環境」への抵抗感が強い人には、個人経営かつ閉鎖的な環境のシェアハウス・ルームシェアは向かないかもしれない。
② 個人経営かつ住み開きの場所
所有のかきねが緩い / ポリアモリー的には最も住みやすい形態?
「住み開き」という言葉がある。「住み開き」とは、「自宅の一部を開放してパブリックな空間とすること」だ。
SUUMOのWeb辞典では「自宅の一部を主にギャラリーやカフェ、教室として使用すること」と説明されているが、シェアハウスにおける住み開きは別に固定の営業空間ではないことが多い。
リビングルームへ友人や恋人を連れてきても良いし、トーク会などのイベントもやれば料理会や映画鑑賞もできる。ただお喋りしたりゲームをしたり飲み会をしたりするためだけに集まっても良いし、一人で寛いでいても良い。かなり自由度の高いセミパブリックスペース、という説明が最も的確に思える。
先述した閉鎖型シェアハウスではなく、このような「住み開き」を実践しているシェアハウスでは、まず「家に入れて良い他人」の幅がかなり広い。
また、調味料や洗剤、本や漫画・ゲームなども個人の完全な所有権を離れて広く使われたり、シェアされたりしている。
「このタイプが最も居心地よく感じる」ときのコさん。会長自身モノガミーよりはポリアモリー寄りの人間なのだが、同じく「住み開き」のシェアハウスが一番住みやすいのではないかと感じる。
ではなぜ、ほかの形態ではなく「個人経営の住み開きシェアハウス」なのだろうか。モノガミーではない人間に「相性が良い」「住みやすい」と感じさせる要因は何なのだろうか。
● 個人経営住み開きシェアハウスとポリアモリーの共通点
会話を重ねていて気付いたのは「所有」の意識に関する共通項だ。
合意のもとで複数の恋愛関係を築くポリアモリーでは、好きな相手を独占したいという「所有欲」とのバッティングが起こる。
「そもそも人間は誰かに所有されるものではなく、相手の人生はすべて相手の自由であり、自分にはいっさい束縛する権利などない」という価値観を完全に貫ければ、そのような葛藤は起こらない。
しかし、おそらく多くの人(世間のマジョリティ)にとってはこれは難しい。
好きな相手には自分を優先してほしいし、相手には相手の自由があるとわかっていても不安になったり「なんで会ってくれないの!」と怒ったりしたくなってしまう。
ポリアモリーは「一対一の閉鎖的な所有の関係」を手放す生き方だ。それは言い方を変えれば「所有」という概念に真っ向から対立していると言える。
一方でシェアハウスはどうか。
1人ぐらしや家族暮らしでは、家や部屋にあるものはすべて自分か家族の所有物だ。
業者管理型のシェアハウスでも、共用設備や電気ガス水道光熱費など以外は「個人」の枠組みで管理されており、「所有」の枠組みがはっきりしていた。
しかし、個人経営型で住み開きのようなシェアハウスでは、多くがリビングスペースの本やゲームを共有している。元が個人所有であったとしても自由に読んだら使ったりして良いようになっていることが多いし、調味料や食材の線引きもどこか曖昧なところがある。調理器具や他のアミューズメント用品などもそうだ。
この形態では、他の人に自分の買ったものを使われたり破損されたりすることがありうる。失くされたり損をすることも十分にあり得る。自分ばかりがサラダ油を補充していて他の住人は全く買ってこないとか、自分ばかりゴミ出ししていて他の人は全然やらないとか、そういった問題や不満点が積もっていく要素が満載である。
しかしそれは、「所有」意識の高さと大きく結びつくだろう。
自分のものを使われたくない、自分が買ったものなのだから僅かでも他人に与えたくない、というのは「所有」意識が強ければ強いほどセンシティブに起こる感情ではないだろうか。
私の住んでいるシェアハウスではこれが逆に上手いように回っていて、誰かが家庭用プールを買ったら他の1人が水を入れるためのホースを購入し、他の1人が蛇口とホースのアダプターを購入する、などのイベントが時折発生する。
シェアハウスで楽しく過ごすには、たぶん他の人が与えてくれたものがあればその分他のものでお返ししようとする姿勢だと思う。誰の所有物か明確でなくても、全員の生活が向上するような物品を購入できるのなら良いか、とか。サラダ油は自分ばかり買っているけれど、塩と砂糖はいつも他の人が買ってくれているな、とか。
あいまいでありつつも、お互いに一緒にいることでメリットが発生する関係性。足を引っ張り合うのではなく、助けあったり楽しんだりしあえる関係性。
そんな関係性を築いていきたいという心の意識が、ポリアモリーとシェアハウスでは共通するのではないか。
今回の雑談会を終えて、わたしはそんなふうに感じた。
↓↓↓↓↓
最後にまとめ
「シェア」という概念を追求した歴史上のものについて勉強したい!という話題と、反対に「シェア」と対立する概念について考えてみたいという話から、
【次回以降やりたいこと】
① 「シェア」とポリアモリーの親和性という観点
宗教とポリアモリーの親和性の高さ
共産主義とポリアモリーの親和性の高さ
ヒッピー文化の系譜
② 対立しがちな概念について考えたい
物の所有
潔癖症的な傾向
向社会性や社会貢献の必要性(これが無い人は難しいのではないか。)